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破顔の首相が欝にする(首相の品位)

200961

宇佐美 保

 

 この拙文は、1ヶ月以上前に書き始めましたが、パソコンに1文字打ち込む度に、憂鬱になり放置しておりました。

けれども、先週から次のように書き始めましたが、又、直ぐストップしてしまいました。

それでも、やはり書き続ける事としました。

 なにしろ、

この頃、「こんな事で良いのでしょうか?」が更新されませんが、
お元
気でしょうか?・・・

とのメールまで頂きましたので、原因が明白な鬱を押しのけて頑張ります。

 

昨日(注:先週の日曜日)NHKの大相撲中継の最後の部分を覗きましたら(“大相撲は筋書きのあるドラマ”と(特に朝青龍の活躍?以降)私は認識していますから、今場所も全く見ていなかったのですが、そのドラマの最後だけを覗いてみようと思ったのです)、なんと呆れた事に麻生太郎氏が、優勝した大関日馬富士への賞状を読み上げていました。

“賞状くらいでは漢字を読み間違える事はないだろう”と思って聞いていましたら、

“この五月、場所において活躍されましたので・・・”と
「五月」と「場所」を分けて読み上げました。

(従来は、「頭書の成績」との文言を使っていたと記憶しているのですが、今回の場合は、「頭書」ではなかったと思ったのですが、詳しい文言は忘れました)

即ち、

麻生氏は「五月場所」を“この五月に、この場所おいて・・・”
と解釈されて読み上げたのでしょう。

 新聞などでは「五月場所」を「夏場所」と書いたりしていますが、相撲協会のホームページでは、一月場所、三月場所、五月場所・・・と表示されています。

ですから、賞状に書かれていたと思われる「五月場所」はあくまでも「五月場所」と一息で読み上げられるべきであって、「五月」のあとに息継ぎをして「場所」読み上げてはならないのです。

 こんな事なら、モンゴル出身の日馬富士ご自身に代読して貰えばよかったのにと思いました。

(でも、もうこんな醜態は、麻生氏にとっては当たり前のことマスコミも認識して、報道もされなかったと存じます。

私ですら、うんざりして、又、書き続けるのが苦痛になってきますが、頑張って書くこととします・・・(しかし、1週間ほど中断していました))

 

 テレビに映る麻生首相の顔は、話していない時は「破顔一笑」といった有様、ところが、記者団達の質問に答えるとき等は、苦虫を噛み潰したような顔で濁声を発しています。

(私には、前者は作り笑い、後者が彼の本性の様に思えてなりません)

ですから、もうNHKや民放テレビ(又、新聞も)は見ません!

でも、「報道ステーション」は見ています。

そんな時、うっかり麻生氏の発言を耳にして私の心は鬱々とした気分に落ち込みます。

(今回はそんな時の麻生発言を思い出しつつ書いていますので、多少の文言の相違はお許し下さい)

 

 補正予算案の一部として、住宅取得に使われた生前贈与は、500万円を上限に課税対象から除外するとの贈与税減税の効能を説明する際、麻生氏は、次のように語っていたと思います。

 

“住宅を新築すれば、女房子供は兎も角として、
他の物は皆新しく買い換えるでしょ!?
だからこの減税の効果は大きいのです”

 

この発言の際の麻生氏の顔つきから、“皆さんも、住宅新築の際は、女房から全て、皆新しくしたいと思っておられるでしょ?なにしろ、

女房と畳は新しい方が良い

と言われていますからね。でも、でも、残念ながら、女房子供まで新しくするのは、そうは簡単に行きませんよね!?”との受け狙いを感じたのです。

 

 しかし、この受け狙いを混ぜた発言から、麻生氏の品の無さを痛感しました。

更には、「さもしさ」を感じました。

(こんな「受け狙い」で麻生氏の支持率が上昇するのでしょうか?)

 

 その上、(人様の引越し事情は分かりませんが)我が家の新築家屋への引越しは、家財道具も雑物も雑木さえ、引越し前の家にあったものを後生大事に運んでいました。

 

 しかし、麻生氏をどんなに非難しても、「蛙の面に水」(「小便」と書きたいのですが、品位を重んじて「水」と書きました)で、時間の浪費ですから、この2ヶ月ほどは何も書きませんでした。

 

 でも、425日の朝日ニュースターの番組「パックインジャーナル」の中で、「麻生氏は、朝日新聞記者からの質問に対して、“朝日には答える必要はない!”と言ったとの記事が日刊スポーツに掲載されている。」との発言がありましたので、インターネットを調べてみたら、次の朝日新聞(2009425日)の記述を見る事が出来ました。

 

 

首相のぶら下がり対応「ひどい」 加藤紘一氏が苦言

 

 自民党の加藤紘一元幹事長は24日、TBSの番組収録で、麻生首相が毎日実施している「ぶら下がり会見」での首相の対応に苦言を呈し、「テレビで毎日放送されたら大変なことになる。すぐに改めるべきだ」と述べた。

 

 首相は21日のぶら下がり会見で、靖国神社への真榊(まさかき)奉納の真意を聞われ、「朝日新聞に説明する必要は感じない。お答え致しかねます」などと答えていた。

 

 この日の収録後、加藤氏は記者団にも「ひどい。心の中で国民と同じレベルで自分は毎日生きているという部分を持ってほしい」と首相をたしなめた。こうした状況を受けて河村官房長官は24日夜、首相と会い、「若い記者をぞんざいにしないように。名指しはやめてください」と助言した。

 

 一方、首相はその直後に開かれたぶら下がり会見で、この会見が首相も記者も立ったまま実施されることを指して「立ち話。これ記者会見じゃない」と同意を求めた。そのうえで「立ち話は気安くしゃべるものだと思っている。だいたい私の息子ぐらいの世代だから」と述べ、「傲慢(ごうまん)」とも指摘される記者への対応は親しみの裏返しだと強調した

 

 こんな麻生氏の言い分が、罷り通ってしまうのですから、この国は一体どうなってしまったのでしょうか?

 

 立ち話で何であれ、話し相手が「私の息子ぐらいの世代だから」といって「傲慢(ごうまん)」とも指摘される記者への対応は親しみの裏返しだ」の言い分が今の日本で罷り通るのですから、私には驚きです。

 

(なにしろ、この朝日新聞の記事にたどり着くまでに、他のインターネットの書き込みを見ますと、この麻生氏の態度を支持し、逆に朝日新聞や、朝日の記者批判をしていたりする記述に出会うのです。

私とて、朝日新聞に満足しているわけではありません。

全ての新聞購読を止めようと以前から思っていますが、朝日だ読売だの熱心な新聞拡販員の情に絆(ほだ)されて、今だに止められずにいます。

でも、朝日の記者が国民に選ばれた存在でなくても、月々の購読料を払いつつ彼ら記者の取材する情報を待っている方々が大勢いる事は確かなのです。

その方々を思えば、単なる立ち話云々では済まされない筈です)

 

 

日本には古来「親しき中にも礼儀あり」の言葉があるのですから、
いわんや他人に対しては、幾ら相手が年少者であれ、
「傲慢は、親しみの裏返し」の論を通すのは「傲慢」そのものと私は思うのです。

 

 

真に品位のある方なら、年少者に対しても、
(というより年少者に対しては、なお更)
相手に敬意を払いつつ応対するのではないでしょうか?

(ですから、このような姿勢を常に貫かれておられる報道ステーションに出演する松岡修三氏が大好きです)

 私は、松岡修三氏に一歩でも近づきたいと、小さなお子さん(ご両親の大事な宝)に道を尋ねるときは、身を低くして、丁寧語を用いるように努めます。

 

 

 そして、そもそもの「靖国神社への真榊(まさかき)奉納の真意」に関しては、麻生氏は、「靖国神社への真榊奉納」以前に行うべき事があったはずです。

少なくとも、外務大臣とか、首相とかに就任する前に!

 

 週刊金曜日(2009.4.3号)の「麻生鉱業の捕虜使役問題」の記事の中で、福林徹氏(歴史研究者)は次のように報告されてます。

 

 明るみに出た麻生鉱業の捕虜使役問題

・・・

 

 麻生太郎首相は、明治以来、福岡県の筑豊炭田の石炭採掘で財を成した麻生財閥の直系の「御曹司」であり、一九七九年に代議士に初当選する前は麻生セメント株式会社の社長を務めていた。

 戦時中、麻生財閥の中核企業であった麻生鉱業株式会社は、一万人とも言われる朝鮮人労働者と三〇〇人の連合軍捕虜を使役したという歴史をもっており、麻生氏が二〇〇五年に外務大臣に、〇八年に首相に就任した時、海外のメディアは麻生氏の外交姿勢に注目し、麻生鉱業に関わるさまざまな記事を伝えた

 しかし、政府も麻生氏も、麻生鉱業での捕虜使役の事実を否定していた

 

捕虜使役の動かぬ証拠

 

 〇六年二月、『ニューヨーク・タイムズ』紙と『インターナショナル・ヘラルド・トリビューン』紙が、中国人強制連行や北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の拉致問題での日本政府の対応を批判した記事を掲載し、後者は「麻生氏の家族は、アジア人と西洋人強制労働者を使った麻生鉱業を所有していた」と記述した

 これに対して、ニューヨークの日本総領事館がインターネット上のホームページで、「証拠も示さず、このような断定的な表現を用いることは全く不当である」と反論した。

・・・

 これに加えて、二〇〇六年に米国国立公文書館を調査した時、GHQ(連合軍稔司令部)資料の中に、麻生鉱業が一九四六年一月二四日付で日本政府俘虜情報局に提出した報告書を見つけた。この資料は、戦犯追及を免れようとした姿勢が窺われる内容とは言え、捕虜の労働や衣食住などについて詳しく述べた文書で、麻生鉱業の社用便せんに書かれ、社印も押されており、否定しようもない捕虜使役の証拠書類であった。

 昨年一一月、民主党の藤田幸久参議院議員から私に資料提供の要請があり、私は、それに応じた。私としては、この問題で、敗戦時五歳だった麻生太郎氏個人に戦争責任があるとは考えていないし、特定の党派に与するという意図もないが、日本政府が歴史的事実にきちんと向き合って戦後責任を果たすことはぜひ必要と考えている。

 

厚労省は公式に認知

 

藤田議員は、1113日の参議院外交防衛委員会でこの資料を示し、麻生鉱業の捕虜使役について麻生首相・中曽根弘文外相に質問した。国会で捕虜の強制労働についての質問が行なわれたのは初めてのことである。その結果、1218日の藤田議員の再度の質問に対して、政府は、厚生労働省が旧俘虜情報局から引き継いだ資料を開示し、麻生鉱業の捕虜使役の事実を公式に認めた。そして、ニューヨークの日本総領事館のホームページに掲載されていた『ニューヨーク・タイムズ』親等への反論記事を削除した。・・・

 さらに付け加えると、麻生鉱業吉隈炭鉱跡地は、現在、麻生飯塚ゴルフクラブになっており、そこから少し南の桂川町吉隈の炭住街の中に捕虜収容所があった。周辺の住民は「開墾作業や水汲みに来る捕虜を見た」、「敗戦直後、米軍機が飛来してパラシュートで収容所に救援物資を投下した」などと、当時のことを鮮明に記憶している日本政府や麻生首相がいくらとぼけても、捕虜がいたことなど、元々、隠しようもない事実であったのである

・・・

 政府が歴史問題をごまかし続けようとして、今回のニューヨーク日本総領事館のホームページの削除のような醜態を演じるなら、内外の不信感は高まるばかりである。それよりもむしろ、これをきっかけに、過去の歴史の正確な調査と記録を行ない、各国との和解と友好を計り、日本外交の信頼を高めることこそ上策ではないかと思うのである。

 

 

 福林徹氏は「私としては、この問題で、敗戦時五歳だった麻生太郎氏個人に戦争責任があるとは考えていない」と書かれておられますが、

私は少なくとも麻生氏が外務大臣、いわんや首相に就任する前に、
捕虜だった方々、ご遺族らに頭を垂れるべきだったと存じます。

(更には、麻生鉱業株式会社からの金銭的などの恩恵を全てご自身の懐に入れずに、強制的に使役された方々に差し出して頂きたいと思わずに入られません)

 

 「周辺の住民は「開墾作業や水汲みに来る捕虜を見た」、「敗戦直後、米軍機が飛来してパラシュートで収容所に救援物資を投下した」などと、当時のことを鮮明に記憶している」とのことですから、麻生氏ご自身で調べれば「麻生財閥の中核企業であった麻生鉱業株式会社は、一万人とも言われる朝鮮人労働者と三〇〇人の連合軍捕虜を使役した」事実は直ぐにでも判明したはずです。

 

 このように、

誰しもが羨ましがるほどの財産、更には、地盤、看板などは相続して
負の遺産を隠蔽して頬かむりを決め込む麻生氏では
「拉致問題は解決済み」との北朝鮮の主張をひっくり返す資格があるとは思えません。

 

 「猿でもできるという反省」を麻生太郎氏は(私達も含めてではありますが)何故なさらないのでしょうか?

この際、「蛙の面に水」を決め込むのを止めて、きっぱりと“今の私は、とても首相の器ではない!”と自覚し、先ずは首相の座を降り、捲土重来を図ったら如何でしょうか?

 

 このまま麻生氏が首相であり続けたら「美しい日本」は兎も角、「美しい日本人」が育ってくれるかがとても心配です。

(それとも、麻生氏は「反面教師」を買って出たのでしょうか?

まさか、お金で買って出たわけでもないでしょうが?)

 

 しかし、このお金で買っている件に関して、私は一寸した危惧を抱いております。

麻生氏は「金融サミット」において、IMF1000億ドル(約10兆円)を融資すると約束したのです。

しかも、その融資を広言したのは日本(麻生氏)だけなのです。

 なんだか、私達の税金を使って「世界の金持ちクラブ」の会員権を買っているように思えてならないのです。

(そんな会員権なら、大金持ちの麻生氏は自腹で買って欲しいものです)

 

 麻生氏に関して書き続けますと、鬱々とした気分に陥りますので、今回はここまでとし、後日の別文に続けさせて頂きたく存じます。

 
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